【必読本】嫌われる勇気 (岸見一郎&古賀史健)

「嫌われる勇気」
読み応えがあるのでじっくり時間をかけて読んだのだが、読んでいる途中から早くも人生に対する考え方、他者とどう接するかという世界観が変わり、読みながらもそれを実行し、今まで体験したことのない幸福感をすでに感じている。頭がおかしくなったわけではない。この考え方を知る前と後とでは、世界が全く違って見えるのだ。あまりに良書だったので読み終わって即再読。こんな読書経験は初めてだった。

「嫌われる勇気」とインパクトのあるタイトルだが、これはアドラー心理学についての本である。アドラー心理学とは、フロイト、ユングと並び心理学の三大巨頭と称される、アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)の思想である。この本は、「人は変われる 、世界はシンプルである 、誰もが幸福になれる」と、変な宗教かと疑いたくなるような持論を唱える哲人と、その間違った理想論を論破しようと真っ向から立ち向かう、読者の視点に立った青年の2人による対話形式で書かれている。

物語はトラウマの否定から始まる。
青年の友達に、何年も自室に引きこもっている男がいた。彼は外に出たいと思っているし、できることなら仕事を持ちたいと思っているが、なかなか自分を変えることができない。彼が外に出られなくなった原因は、虐待を受けて育ったという家庭環境にあるかもしれないし、学校で虐められた経験があるのかもしれない。このように、過去にトラウマなり何なりの原因となる出来事があったと考えるのは普通だろう。あらゆる結果の前には原因があるという考え、これを原因論と呼ぶ。
しかし、アドラー心理学ではこれを否定し、人は過去の原因に突き動かされるのではなく、自らの定めた目的に向かって動いていくと考える。この引きこもりの男は「不安だから外に出られない」のではなく、「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」のだ。つまり、「外に出ないという目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえている」と考えるのである。これを目的論と呼ぶ。
このような常識を根本から覆すような主張が続いていく。

アドラー心理学を自分の性格に当てはめて考えて、自己分析をしてみた。
途中まで読んだ時点では、私はアドラー心理学が特別な考えであると感じることができなかった。「怒りとは出し入れ可能な道具である」や、「もしも自慢する人がいるとすれば 、それは劣等感を感じているからにすぎない。」という主張があるが、これも説明はできなくとも経験則でわかっていたことだからだ。この本を読む前から、私は嫌いな人はいないけど、自分のことを嫌いたい人は勝手に嫌ってくれて構わなというスタンスで今まで生きてきた。嫌われる勇気もすでに持っていた。

課題の分離というアドラー心理学の重要なテーマの中で、勉強することは子供の課題であり、親が子供に「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して土足で踏み込むような行為である、と論じられている。世の中の親たちは「あなたのためを思って」という言葉を使い、子供に勉強させようとする。しかし、親たちの本当の目的は、世間体や見栄え、支配欲といった自分の目的を満たすために働いているのだ。親に必死に勉強しろと言われて受動的に塾に通っていた中学、高校時代の友達を思い出せばわかるだろう。自分を変えることができるのは自分しかいないのだ。

私は幸いにも、親に勉強しろと言われたことが人生で一度もない。そこに関して全く干渉されなかった。だからと言ってネグレクトだったわけではない。高校生の時は塾に行かせてくださいと自ら申し出てお金を払ってもらったし、大学受験の時もお願いだから10校受けさせてくださいと頼んだ。そしてそれを理解してくれた。差し伸べれば手が届く 、けれど自分の領域には踏み込んでこない。そんな適度な距離を保つ家庭であった。だから自ら勉強を好きになり、ハマることができたのだと思う。勉強しろなんて言う親の元にもし生まれたらと、考えただけでゾッとする。私の両親は課題の分離と言う概念は勿論知らなくとも、それを感覚的にわかっていたのだと思う。
そんな家庭環境に影響したのかはわからないが、自分はアドラー心理学のアの字も知らないにも関わらず、アドラー心理学的な思考を無意識的にしていたのかもしれない。だからここまでの哲人の言葉に同意することかできたし、自分が何故ポジティブなのか、怒らない性格なのか、という理由を体系的に理解することもできた。

途中まではそう思って読み進めていたのだが、改善すべき自分の中での課題はいくつか見つかった。一つは常に自分が人を疑う性格であるということだ。
他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚という。そして、この共同体感覚こそ、幸福なる対人関係のあり方を考える上で最も重要な指標である。幸せになるとは、自己への執着他者への関心に切り替え、共同体感覚をもてるようになること。そこで必要になるのが自己受容他者信頼他者貢献の3つのキーワードである。
常に人を疑うという私の性格は、2つ目のキーワードである他者信頼ができていないということを意味する。他者信頼とは、他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことである。無条件で人を信じることはあまりにも難しいと思ったが、アドラー心理学の考えはここでもいたってシンプルであった。裏切るのか裏切らないのかを決めるのは、自分ではなく他者の課題であると。これも課題の分離で解決できるのである。
信頼関係を恐れていたら結局は誰とも深い関係を気付くことはできないと、確かにそうだと思う。

私は今、語学学校に通っているのですが、思い立ったら即行動、今でしょ精神で、早速今日この本に書かれていることを学校で試しまくってみた。精神論ではあるが、得られたものは非常に大きい。飽きてきていた学校も格段に楽しくなった。
ホリエモンの「ギブアンドテイクじゃなくてギブギブギブ。見返りなんか求めず、返ってきたらラッキーぐらいに思えばいいんですよ。」という発言の意味も、ようやく理解できた気がする。この発言も、「誰かの役に立てているという主観的な感覚、つまり貢献感があればそれでいい。幸福とは貢献感のことなのだ。」というアドラー心理学に基づいているのだろう。



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